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高松高等裁判所 昭和45年(う)90号 判決

被告人 伊藤政直

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、記録に編綴してある弁護人佐長彰一、同三木大一郎(昭和四五年七月二二日限りで辞任)各作成名義の各控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

佐長弁護人の控訴趣意第一点について

所論は、原判示第二の事実につき原判決の訴訟手続違背乃至事実誤認を主張し、およそ任意捜査において物件の写真撮影をする場合は、当該対象物件の所有者又は管理者の承諾を必要とするものというべきところ、本件においてはこの点に関する承諾があつたとは認められないから、石井巡査のなした写真撮影は任意捜査の限界を逸脱する違法なのであり正当な公務執行行為として保護されるに値しない、というのである。

よつて按ずるに、人はその私的生活について故なく写真を撮影されたり、みだりにこれを公表されたりすることのない法的利益を享有している。それは憲法一三条の規定の趣旨に由来するものであつて、この法的地位が刑事手続の領域においても十分に尊重されなければならないことは当然である。犯罪捜査のためにする写真撮影は、それが所謂任意捜査の一環としてなされる場合であつても、写真器具の機械的操作によりた易く相手方の意に反して行われ得るのであり、その意味では強制処分的性質を有するものであるから、単に犯罪捜査に必要であるというだけの理由で無制限にこれを許容することはできない。

然しながら他面、一般私人の享有する前記私的生活上の法的地位も絶対無制限のものではなく、公益上の理由に基づく合理的な制約に服すべきものである(憲法一二条、一三条等)。犯罪捜査は公共の福祉を保持するための国権作用であるから、その行使としてなされる写真撮影にもそれ相応の公益的根拠があるのであり、それが任意捜査の一環としてなされる場合であつても、その実施について合理的な理由と必要性があり、その態様、方法において相当性を具備するときは、利害関係人(相手方)の意に反してでもこれをなし得る余地があるものといわなければならない。

もとよりいまここにその逐一具体的な基準乃至条件を設定することは困難であり、要は、個々の具体的事案に即し、相対立する前記二つの法益の均衡調和を考量して決するほかはないのであるが、任意捜査における写真撮影を制約する所以のものが人の私的生活における自由乃至安寧の保護という人権保障原理に立脚する以上、撮影の対象が人の存在状況乃至行動状況そのものである場合とそれ以外の物的状況である場合とでは自ら相違があり、一般的には前者の場合においてこの保障原理がより広範かつ強力に作用し得るのに反し、後者の場合においてはその作用が比較的狭少微弱に止まるものと解せられる。さらにまた右後者の場合においても、撮影の対象が人の特別に管理する場所にあるか否かによつて撮影規制に強弱の差を生ずるであろうし、当該対象物件が他見を憚る特別の価値又は性質を有するか否かによつても同様の差異を生ずるものと解せられるのである。

本件についてこれをみるのに、記録によれば、石井巡査は、大西和司の運転する大型貨物自動車(最大積載重量六トン)が徳島県三好郡池田町大利字為成五〇番地の三付近の公道上においてその積載にかかる重さ約九トンの巨大な庭石甲青石を誤つて荷台からずり落し、道路を完全に閉塞させて多数の車両の通行を渋滞させたため、急報により他の警察官二名と共に現場に赴いたのであるが、実地見分の結果大西運転の前記車両について積載制限超過等の道路交通法違反の嫌疑を認め、その証拠資料となすべく本件の撮影に及んだものであつて、その意図するところは専ら右現場の物的乃至客観的状況を対象とするものであつたことが明らかである。そして司法警察職員たる石井巡査において前記のように大西運転の車両につき積載制限超過等の道路交通法違反容疑を認めた以上、同巡査がその物的確証を得ようと意図したのは、客観的証拠の蒐集を旨とすべき捜査担当警察官として当然であり、その採証活動に緊急性の要請が全くなかつたともいい難く、また同巡査が、本件の撮影に際して、被告人らに威迫乃至強制を加えたり、或は被告人らの積み上げ作業をことさら妨害しようとした形跡も認められないものである。そして一方、本件の現場は車両交通の頻繁な公道上であり、当時同所付近には交通止めを蒙つた多数の通行人が集まつていたうえ、既に石井巡査を含む三人の警察官も来場してともども事態の成行を見守つていたのであつて、被告人側においても、公道上で既に衆人環視の的となつている本件青石の積載運行及びその脱落事故を今さら内聞に付すべく念慮する特別の必要はなかつたのであり、敢えて本件撮影を拒否しなければならない合理的理由を肯認し難いのである。以上を彼此綜合勘案してみると石井巡査による本件の写真撮影は、その実施につき相応の理由と必要性があり、その態様、方法においても相当性を具備しており、さきに説示したところに照らし適法な公務執行行為と認め得るのであつて、これと同一の見地に立つ原判断は正当といわなければならない。論旨は独自の見解というほかはなく、俄かに採用し難い。

佐長弁護人の控訴趣意第二点について

所論は、原判示第三の事実につき原判決の事実誤認を主張し、本件の被害者(山ノ井寛)が被告人の暴行によつて蒙つた傷害の程度は、たかだか加療一日程度のものであつて、原判決の認定するように加療に約七日間も要する程度のものではなかつた、というのである。

然しながら記録を調査して按ずるに、本件の被害者である山ノ井寛は本件受傷の当日医師北条進の手当を受けて七日間の安静加療を要するものと診断されており(同医師作成の診断書)、現にその後全治までに五、六日を要したことが認められる(山ノ井寛の原審第二回公判における証言)のであつて、原判決は以上の経緯を綜合勘案して本件傷害の程度を「加療約七日間」と認定したものと窺われるのであり、その採証判断に格別の不合理は存しない。なるほど被害者が本件受傷の当日以外に右受傷について医師の治療を受けた形跡は記録上肯認し難いところであるけれども、右の一事をもつて加療の必要がなかつたとは認め難く、むしろ全治までは大なり小なりの加療手当を必要とするのが通例と考えられるのであつて、いずれにしても原判決に所論の主張するような事実誤認は認められない。従つてこの点の論旨も容れ難い。

三木弁護人の控訴趣意並びに佐長弁護人の控訴趣意第三点について

各所論は、原判決の被告人に対する刑の量定が重きにすぎて不当であると主張するのであるが、記録によつて窺われる被告人の数多い前科歴、本件各犯行の動機、態様、結果等諸般の事情を鑑みると、原判決の科刑も止むを得ないものと考えられ、当裁判所において特にこれを軽減すべき必要は認められない。従つてこの点の論旨も採用し得ない。

よつて、刑訴法三九六条、一八一条一項本文により、主文のとおり判決する。

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